旧ソ連は1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の破局事故から5年後に国家体制そのものが崩壊した。
かつて小出裕章先生に、このソ連崩壊とチェルノブイリの破局事故は関連性を訊いてみたところ「ソ連の崩壊については複合的な要因があるけれども、その中の一つとしてチェルノブイリの事故は間違いなくある」というのがその答えだった。

そのチェルノブイリにしても、破局事故が起きた年の暮れには石棺が完成している。ところが日本では使用済み核燃料が事故を起こした原子炉内にあり、これを抜き取らないことには石棺にすらできない。しかしなにしろ放射能の数値が高く(直近では630シーベルトを観測)、人が近づけるレベルでもない。結果として水を注入する以外のことはできないが、それは放射能による汚染を絶望的に拡散させることになっている(現実問題として溶け落ちた燃料デブリを回収することは絶対にできず、現在の計画はまったくの夢物語である)。

こうした状況を鑑みるなら、やはり日本においても5年というのは一つの区切りではないかと思ってきた。しかしながら、丸五年を経て、表面上は日本では原発再稼働の流れが強まるだけで、国家体制を揺るがすようなことは起きなかった。

しかし、やはり原発の破局事故の影響は日本においても深く、かつ確実に進行しており、それがいま東芝という大企業を崩壊の瀬戸際に追い込んでいる。
いまここでこの東芝の危機の詳細については書かないが、要するに00年代にアメリカのウェスティングハウスを買収し、原子力発電事業を拡大しようとしたことがすべての始まりだ。
当時は「原子力ルネッサンス」などと言われた時代で、この買収によって東芝の体質が強化されたなどと評価されたが、筋金入りの反原発である私は当時から「アホなことをやる会社だナ」としか思わなかった。

そして、3・11ですべてが暗転。原発は世界的に「衰退」がトレンドとなる(にもかかわらず成長産業などとのたまって自ら海外に営業して歩いた安倍晋三はウルトラ級のバカとしか言いようがない。しかもそのすべては失敗している)。
わずかながら新規で建設している原発はあるものの、コストは鰻登りとなり、3・11以前は一基3,000億円と言われた建設費は1兆円近くまで跳ね上がり、それでも安全性を再検証してみたらさらに1兆円はかかると言われ、しかも最終的に完成して稼働できるかどうかも定かでない。
「原発は安い」などという神話はもともと与太話だったが、これにて完全崩壊したわけだ。

それにしても……。
新規に建設するにしてもこれだけかかるのだから、既存の原発を再稼働するとなれば、よほどのカネをかけないと最新の原発と同じレベルの安全性を確保することはできないのではないか?という疑問は当然わいてくる。
まして日本の原発の安全基準は「世界でもっとも厳しい」はずなのだ(このセリフを安倍晋三だけでなく、蓮舫までが口にするところに日本の政治の絶望的状況がある)。
ところが、日本の電力会社は安全に対してコストをかけるのがよほど嫌いらしく、福島第一原発事故で本当の大破局からは逃れることのできた最大の要因である免震重要棟をつくる気もない(あるいは昨日のニュースによれば、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の免震重要棟は耐震強度が想定より低く、震度7には耐えられないという。しかも東電はこれを3年前から知っていたが隠していたという)。
それでも再稼働が認められるのだから、実はその安全基準は相当に低いのである。

したがって日本の場合、原発の破局事故はもう一度起きるのではないかと私は予想しているのだが、たとえ運良くそれがしばらくは起きないとしても、すでに日本は破局事故を起こした原発が3機もあり、しかもまったく収束の気配がないという圧倒的な現実が目の前にある。
今月に入って2号機の格納容器内にロボットを入れたところ空間放射線量は650シーベルトという驚くべき数値を記録したが、これでさえあくまで推定値である。
日本人がすでに終わったと思っている原発事故は収束どころか、およそコントロールができるような状態ではないのだ。かといって放置したままでおけば、放射能による汚染は拡大の一途をたどり、国際的な非難を浴びることになる。

こう考えると、破局事故を拱手傍観しているヒマはない。現実的には燃料デブリの取り出しなど諦め、1号機から3号機までの使用済み燃料を取り出した後はチェルノブイリのように石棺にするしかない。だが、それにしてもいったいどれだけのカネがかかるのか、いつまでかかるのかわからない。
確実に言えるのは、日本にとって福島第一原発事故は国家の存続を危うくするほどの重荷になるということで、東芝の今日の惨状は、日本の明日の姿なのである。

※もし東芝が「会社を再建するにあたって従業員の結束を強めるため、復活大運動会をグループ全体で開催する」と言ったら頭がおかしいんじゃないかと思われるだけだが、東京オリンピックはそれと同じことである。