このカテゴリーでは、現在、私が直面している親の介護という問題について書いていきます。
といっても、私が介護問題と直面するようになたのは比較的最近で、一昨年末あたりからのこと。

私の両親は高島平(東京都板橋区。日本の中でももっとも高齢化が進んでいると言われている地域)の団地に住んでいました。
父親は大正14年生まれで、まったくボケずに、いやそれどころか相当な知的レベルの高さを維持しつつ大きな病気もありませんでした。
ただ、年齢には勝てず2012年の初頭から人工透析をすることになったのです。
「その年齢で透析を始めるというのもなあ、、、」とは思ったのですが、まあ本人が納得していることなので何も言いませんでした。

ところが人工透析に通い始めてわずか5、6回めのある日の朝。母親から自宅に電話がかかってきました。
なんでも病院から電話がかかってきて、「まだ到着していない」とのこと。
父親は前の晩もたくさん食事をして、ちょっと酒を飲み、朝も十分に食事をして家を出て行ったとのこと。
しかし、その直後、エレベーターの中で倒れて不帰の人となったのでした。

その後のことの詳細は省きますが大まかに書くと、父親は大動脈瘤破裂でほぼ即死。病院以外での死亡だったため警察へ行って検死などもしました。動顛したなかで葬儀の手配などをして、死亡から1週間ちょっと後に葬儀をしました(高島平近辺の葬儀場は大変に混んでいるのです)。

そうして母親が一人取り残されました。この人、頭脳明晰でしっかりしており、何でも自分でできた父親とは真逆のタイプ。ちょっと鬱気味で、ネガティブ思考が強いのです。
父親がいる間は親のことはほとんど何も考えていなかったのですが(そのうち大変なことになるかもとは思っていたけど)、その父親が突然いなくなり、突如、母親をどうるかが浮上したわけです。

思えば、、、
父親の突然死というのはビックリしたけれど、十分生きて(享年88歳)、かつ介護の「か」の字もないままの死去というのは、誤解を恐れずに言えば、本人にとっても、そして家族にとっても悪くない終わり方でした。

高島平と私の自宅とは直線距離にして12〜13キロ。遠くはないけれども近くもありません。そして直通で行ける交通機関かないため、クルマ、もしくは自転車で母親のところへ定期的に通う日々が始まったのです。
それでも最初の1年半ほどは一人でなんとか生活していたのですが、2015年の正月、自宅で転び大腿骨骨折。ここからそれまで何の知識もなかった介護というものに取り組まなければならなくなったのでした。
(つづく)